自動思考に気づく意味って?

こんにちは。聞き手の新田です。

前回のブログでは、「自動思考」というものをご紹介しました。

 

思考のクセのようなもので、誰しもがなにかが起こったときに、

本人も知らないうちに、当たり前のように、そう思ってしまっている思考のことです。

思考のクセ、自動思考とは?

明けましておめでとうございます。 聞き手の新田です。 本年もどうぞ「ねえねえ きいて」をよろしくお願いいたします。   新年から「今年は○○をやる!」と意気込んでいた…

 

例えば、ずいぶんと久しく会っていない友人のことを思い出し、

どうしているかな、と連絡をとってみました。

ところがその友人はいつのまにか連絡先を変えていたらしく、

送ったはずのメール(連絡手段)が使えなくなっていました。

このような出来事があった時、あなたはどのような思考が頭をよぎるでしょうか?

 

「連絡先を変えていたにも変わらず連絡してくれないなんて、薄情な奴だ!」

と腹が立つかもしれませんし、

「相手にとっては、こっちが思っているほどの友人関係ではなかったんだ・・・」

と悲しくなるかもしれません。

もしくはこの両方の思考が行き来してくるのかもしれません。

 

この「出来事と思考」の間に、無自覚のうちに

自動的に考えてしまうことが、思考のクセ、つまり「自動思考」です。

それは、「あなた自身の、物事への受け取り方」とも言えるでしょう。

 

前回の記事では、

まず自分が「そうした自動思考をしているんだ」ということに気づくこと

と書かせていただきましたが、

そもそも、なぜ、自分の「自動思考」に気づいたほうがいいのでしょう?

 

「自動思考」は、自分が無自覚にそう考えてしまうこと。

しらずしらずのうちに頭の中でつぶやいてしまうことなので、

なかなか意識しないと気づけなかったりします。

そんなちょっと難しく感じてしまう「自動思考」を、あらためて自身で気づく意味があるのでしょうか?

 

着目してほしいのは、「自動思考」が感情を生み出す、という点にあります。

 

先ほどの例で言えば、

『久しく会わない間に、相手の連絡手段が変わってしまい、連絡ができなかった』

という出来事に対して、

「連絡先を変えていたにも変わらず連絡してくれないなんて、薄情な奴だ!」

というセリフとともに「怒り」の感情が、、、

もしくは

「相手にとっては、こっちが思っているほどの友人関係ではなかったんだ・・・」

というセリフとともに「悲しさ」や「孤独感」のような感情が湧いてきます。

 

感情は、私たち人にとってとても大切な要素です。

どのようなことで、どのような感情を抱いたとしても、

そこで生まれた感情は、私という存在を示しているからです。

 

そんな感情が沸き起こってくる「私」という存在は、

私たちが生きていくにあって、他の誰よりもずっと一緒にいる存在です。

朝起きてから、夜寝るまで、私が何をして、何を考え、何を感じ、どう行動したのか

「私」はいつも私と一緒です。

 

私と向き合っていくこととは、私の感情と向き合っていくこと。

私の感情に向き合うこととは、私というものを知ること。

 

そのため、私にある「自動思考」に気づくということは

これからもずっと一緒にいる「私」とよりよい関係を作っていくために、

とても大切なことだと思えます。

 

 

次回は、「自動思考に気づくにはどうすればいいのか?」をテーマに書きたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪