「あなたのためを思って」という言葉に傷つかないために

親や上司、親しい友人、、そんな身近な人との会話で、相手からこのように言われた経験ってありませんか?

「あなたのためを思っているから、あえて言ってるのよ」

「お前のためだと思うからこそ、言うんだよ」

 

この言葉にはたいがいがその前後に、「○○したほうがいい」とか、「○○したらだめだ」というアドバイスとセットになっているものです。

たしかに素直に受け取るとすると、

「相手は真摯に自分のことを思ってくれたからこそ、○○とあえて言ってるんだ、、」と受け取ることは可能です。

ですがこの言葉からは、

「私は正しい回答を知っているが、あなたは分かっていない。そんなあなたに、私から正しい回答を教えてあげる」

といった姿勢を相手から感じることもできるでしょう。

 

すると、「自分のことを思って言ってくれたことに感謝しないと」という思いと

「相手よりも分かっていない、劣っている自分」という思いに板挟みされることになりはしないでしょうか?

 

そこでは、劣っていると相手に判断された自分がいて、

そして自分の中に何か感情や気持ちが湧き上がっていても、それは「劣っている自分」のものだから価値がない、、

と自分の気持ちに自分自身で蓋をして、

相手に感謝をしなければなれない、と自らに言い聞かそうとする、、、

そんな、とても苦しく辛い気持ちになってしまうように思えます。

 

僕は過去、このような言葉がけを友人からもらったことで、大きく心が傷ついた経験があります。

自分のことを思って言ってくれたことに感謝を伝えながらも、

この言葉から感じた無意識に見下されている感覚を「自分の間違いかもしれない」、と打ち消そうとする思いに苦しみました。

内心とっても悔しいのに、それを表現できず、

そう感じた自分を押さえつけて、「相手を感謝しなければ」と自分を言い聞かそうとして苦しんだのです。

 

今回、こうした「あなたのためを思って」という言葉に傷つかないために、

精神科医フレデリック・S・パールズ(1893~1970)が創設したゲシュタルト療法の思想が盛り込まれた詩

「ゲシュタルトの祈り」をご紹介します。

 

この詩を通して、自分をしっかりと守る方法として、自分と相手と分けるきっかけを得ていただければ嬉しいです。

「わたしはわたし、あなたはあなた」と、相手の意見に振り回されないように、

自分の気持ちを大切にすることを、許可していきましょう。

 

私は私のことをする。

あなたはあなたのことをする。

 

私は、あなたの期待に応えるために生きているわけではない。

そしてあなたも、私の期待に応えるために生きているわけではない。

 

私は私、あなたはあなた。

もしも偶然、私たちの心が触れ合うならば、それは素敵なことだ。

もし触れ合えないとしても、それは仕方のないことだ。

野口嘉則(2013).「これでいい」と心から思える生き方 サンマーク出版 P74より引用

 

僕たちは一人ひとり独立した人間です。

だれもあなたの代わりの人生を歩むことはできません。あなたの人生はあなただけのもの。

そしてそれはどんなに親しい関係の間柄であっても、譲りようのない厳然たる事実ですよね。

 

こうした詩を自分自身にささやきかけて

「相手と自分をしっかりと分けていいんだよ」と、

自分に許可を与えることがとても大切なのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。